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音楽コラム集

【スタジオマンが教える豆知識Vol.29】エレクトロニックミュージックの進化:サウンドの革新と未来

2024.06.24

はじめに

現在では音楽シーンの主流となっているEDMやダンスミュージック、さらに日本ではYOASOBIを筆頭にエレクトロポップスが流行しています。

このようなさまざまなジャンルを大きくまとめると「エレクトロニックミュージック」と総称されます。

「エレクトロ」という言葉が入っている通り、電子工学の発展とともに成長していくことになります。

今回はエレクトロニックミュージックの起源から現在、そして未来はどうなっていくのかを考察を踏まえて解説していきます!

黎明期~1980年まで

電子工学が発展したのは人類の歴史にとってはつい最近のことです。したがってエレクトロニックミュージックの誕生も音楽の歴史の中では新しい部類です。

初めて電子楽器が世に認知されたのは、19世紀末の「テルミン」や「オンド・マルトノ」の誕生がきっかけです。この楽器がシンセサイザーの原型と言われています。(1920~1930年代)

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そして、1960年アメリカの電子工学博士であるロバート・モーグが現在のアナログシンセサイザーの起源である「モーグシンセサイザー」を開発します。

これにより当時流行していたクラシック系の音楽やその他多くのジャンルでシンセサイザーが用いられるようになります。

モーグシンセサイザー

1968年、ウォルター=カーロスの「Switched on Bach」が発売され、モーグシンセサイザーが世に広まるきっかけとなります。

日本では冨田勲が1969年にモーグシンセサイザーと出会い、古典的楽器と電子楽器の融合に成功します。

ドイツでは1970年に誕生した音楽グループの「KRAFTWERK」によってロックやポップスにも広がっていきます。ここまでの音楽は全てアナログシンセサイザーで制作されています。

当時の作品

ウォルター=カーロス:Switched on Bach

冨田勲:月の光

KRAFTWERK:人間解体(The Man Machine)

1980年代前半

1980年を境にしてシンセサイザーにもデジタル色が強くなっていきます。

今までのアナログシンセサイザーで奏でられていた音色は、自然の音や倍音変化が多いアコースティック楽器の再現に限界がありました。

さらに高価な代物だったことから、手に入れるのは困難でした。

デジタルシンセサイザー

しかし、回路技術や音源方式が進化したことにより、1983年にデジタルシンセサイザーが誕生し、上記の音色も奏でられるようになり、尚且つリーズナブルなため、世界中での使用頻度が格段に向上しました。

デジタルシンセサイザーを用いた音楽は主にイギリスを中心に発展し、後の流行となる「Euro Beat」につながるきっかけとなります。

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当時の作品

The Human League:Don't You Want Me

Soft Cell:Non-Stop Erotic Cabaret

Gary Numan:Dance

1980年代後半

この時代はこれまで流行していたものが衰退し、それに伴い新たなジャンルが台頭します。

「KRAFTWERK」や「YMO」が主軸となり誕生したテクノ・ポップは、その名前が命名された1976年頃から強いビートで当時のディスコシーンを意識した音楽をシンセサイザーを用いて表現することで一般層に波及、世界中で流行していましたが、1980年代後半には衰退してしまいます。

また、シンセサイザーの原点であるモーグシンセサイザーを初めとするアナログシンセサイザーは、この時代ではほとんど見かけなくなりました。

そして、新たにデジタルシンセサイザーが発売、波及していき、1980年代後半このデジタルシンセサイザーを用いたBPM120以上かつポップな作品が増加します。

このジャンルがイギリスの音楽雑誌に「Euro Beat」と名付けられ、爆発的にヒットすることとなります。

当時の作品

YELLOW MAGIC ORCHESTRA:ソリッド・ステイト・サヴァイヴァー

DEAD OR ALIVE:Youthquake

1990年代

Euro Beatの特徴はスピーディーでポップな印象です。

裏を返すと、その特徴以外の目立った印象がないため、ほとんどの曲が同じように聞こえてしまっていました。

しかし当時の大衆はこれを永遠に聴いていました。

なぜなら、当時の大衆は音楽のライトユーザーであり、比較的わかりやすい音楽を聴く傾向にあったからです。

1990年代に入ると、画一的な音楽のEuro Beatは次第に飽きられてしまいます。

こうした背景があった影響で、わかりやすさを重視する時代は終わり、これからはもっと複雑な音楽を大衆は求めていることを知った世界中の音楽家たちは、音作りや作曲にこだわり始めました。

この結果、1990年代はジャンルの分化が非常に多い年代となります。


1980年代中期からアメリカのデトロイト近郊にあるシカゴではデリック・メイやホアン・アトキンスらを中心に新たなミュージックシーンハウス音楽の初期スタイルである「シカゴ・ハウス」が誕生します。

当時は格安で出回っていたシーケンサーやシンセベースを用いてアイデアさえあれば誰でもハウスの曲を作成することができました。

ベースシンセのRoland TB303をいじることで、うねるような奇妙な機械音を出すことができ、多くのシカゴ・ハウスで用いられました。

これは後に「アシッド・ハウス」と呼ばれる音楽へと進化していきます。

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シカゴ・ハウスやアシッド・ハウスは、その後イギリスで起こるセカンド・サマー・オブ・ラブ運動とレイヴのムーブにより、世界中でヒットします。

アメリカでもシカゴ・ハウスの影響を受けたデトロイトの黒人が独自の音楽を取り入れることで、「デトロイト・テクノ」を誕生させます。

このデトロイト・テクノは現代におけるテクノミュージックの元となります。※KRAFTWERKの音楽はテクノポップなので別ジャンル

日本ではYMOを中心にテクノポップが再流行します。欧米諸国に遅れをとっていた日本が匹敵できる「渋谷系」と呼ばれるサウンドを生み出しました。

このように1990年代はエレクトロニックミュージックをリスペクトしつつ、独自の文化や技法で進化させたさまざまなサウンドが枝分かれしていきました。

紹介していないジャンルもありますので、気になった方は調べてみてください!

2000年以降

90年代のジャンルの分化が収束し、2000年に大枠のキーワードとして「エレクトロニカ」が出現します。しかしこの大枠のジャンルもお察しの通り、後にジャンルの分化が起こりますので、後ほどご紹介いたします。

科学技術の進歩に伴い、2000年代になるとシンセサイザーのアコースティック楽器のシミュレーション精度が大幅に上昇します。

ドラムも生ドラムと大差がないほどにクオリティが上がりました。しかしエレクトロニカはこういったリアルな音を用いるのではなく、パッド音やノイズエラー音、サンプリングを細切れにして構築するカットアップなど、非現実的な音を追求する風潮にありました。

2005年頃から、テクノ・トランス・ハウス・Hip-Hopなどの細かく分けられていたジャンルが全て「EDM」というワードに変わっていき、2009年には世界中を席巻します。

約4年間のブームが続き、2013年末に世界的なEDMブームが収束します。これは1976年から1988年までのテクノ・ポップや、1978年から1988年までのEuro Beatと同じような流れになっています。Euro Beatの後にはシカゴ・ハウスやデトロイト・テクノが台頭してきたが、今のところEDM以降の新たなジャンルの台頭はありません。

2005年・2006年のエレクトロニカは知性がテーマとなる「IDM」(Intelligent Dance Music)へと変化し、Daft Punkを筆頭に世界中へ拡散していきました。

さらに現在はDAWに標準搭載されている「Auto Tune」が1997年に発売され、プラグインエフェクトとしてピッチ修正をする機能はボーカル処理に革命をもたらしました。

シェールが1998年に発売した「Believe」がヒットし、ケロケロボイスとも呼ばれるシェール効果が生み出されました。

さらにDaft Punkの「One More Time」は世界的大ヒットを遂げ、多くの耳にシェール効果の音が留まるとともに、Auto Tuneの存在を世に知らせるきっかけとなりました。

最後に

現代のEDMサウンドは、シンセサイザーの技法が特別進化したわけではなく、アタック感が強めでエフェクト処理に磨きがかかったサウンドが多いです。

シンセサイザーが登場した約50年前からさまざまな電子技術や技法が発展し、最近はその技術の成長も落ち着きが見えてきました。

この先の音楽は、過去の技法を真似たサウンドに独自のエフェクト処理を足したオリジナルの音楽が続くと考えられます。

したがって、革命的な電子技術の発展がない限りは技法・奏法などの根底の部分は変わらないのではないかと考えられます。

歴史を振り返ることで過去の音楽家たちと同じような曲、またはそれらの音楽を超える曲が作成できると思います。

その中で楽曲作成のお手本となる自分の好みに合う音楽家や楽曲を見つけ、自分だけの音楽を作ってみてください!