1975年 20世紀フォックス製作
原作・作詞作曲:リチャード・オブライエン
監督:ジム・シャーマン 製作:マイケル・ホワイト、ルー・アドラー
出演:ティム・カリー、スーザン・サランドン、バリー・ボストウィック他
「ロッキー・ホラー・ショー」はもっとも有名な「カルト映画」だ。
恩師のもとへ結婚の報告に向かうドライブの途中、車がエンストしてしまったカップルが、近くの屋敷に電話を借りに訪れる。その屋敷はパーティの最中で、2人は成り行きで参加することに。現れた主人、フランクン・フルター博士はビスチェにガーター、網タイツにハイヒール、オバサンパーマにドギツイ化粧というとんでもない姿のトランスヴェスタイト。しかも、今夜は彼の発明=人造人間ロッキー・ホラーをお披露目する特別な夜だという! と、支離滅裂な展開が人によっては大不評で、レビューサイトなどでも賛否がハッキリわかれている。
原作は1973年にロンドンで初演を迎えたロック・ミュージカル。脚本&作詞作曲は出演も兼ねるリチャード・オブライエンである。当初は「それはデントンからやってきた」という、SF映画のパロディのような仮タイトルがついていた。そう、この物語にはB級SFホラー映画からの引用、セクシュアルなジョーク、そしてロックンロールがこれでもかとつまっているのだ。仕事を干されて暇だった彼が曲作りを始め、その1曲目「SF映画/2本立て」を演出家ジム・シャーマンに聴かせると、ジムは感動し、舞台化を即決する。プロデューサーを口説き、63席の小劇場ロイヤル・コートのスケジュールをおさえた。物語の顔であるトランスヴェスタイトのフランクンには、リチャードとジムの共通の知人、ティム・カリーが選ばれた。そしてリハーサルの最終段階で、タイトルが「ロッキー・ホラー・ショー」に決定した。1973年6月、初演の幕が開くと、ティムの強烈ながら魅力的な存在感と、ロックンロールに彩られた、毒々しく官能的で魅力的なステージが観客たちの度肝を抜いた。その露悪趣味全開の倒錯した世界は、当時隆盛を誇ったデヴィッド・ボウイやTレックスなどのグラムロックと共通するものがあった。ロイヤル・コートでの1ヶ月公演は大成功。 8月、映画館を改装した230席の劇場へと場所を移し、さらに500席のキングス・ロード劇場へと進出した。
アメリカ西海岸のロック界の大物、ルー・アドラーが噂を聞きつけてロンドンまでやってきたのはその頃だった。ルーはショーを見るなり、その日のうちに上演権を獲得。翌1974年3月、ロサンゼルスの有名なライブハウス「ロキシー」でアメリカ公演が始まった。演出はジムが続投、キャストはティム・カリー以外は一新された。ライブハウスで行われるミュージカルショーというシチュエーションも功を奏し、LAのヒップな連中に大ウケした。観客の盛り上がりはロンドン以上だったという。連日満員の大ヒットとなり、エルヴィス・プレスリーやキース・ムーンといったロック界のセレブリティーも来場した。今度は20世紀フォックスの重役が噂を聞きつけ、あれよあれよと映画化が決定した。
映画版の監督もジム・シャーマン。ジムによると、某有名ロックスターを起用すればそれなりの予算を用意すると提示されたが、ティム・カリーの魅力に多くを負っていると考えていた彼は、低予算という条件をのんでオリジナルキャストを起用したという。キャラクターのメイクアップにデヴィッド・ボウイのメイクで有名なピエール・ラロシュがあたり、ルー・リードやイギー&ザ・ストゥージズのジャケ写真を撮影したミック・ロックがスチール写真を担当するなど、グラムロックの立役者を起用。全体のビジュアルは、パンクを先取りしたような尖りつつもどこかチープなデザインに仕上がった。仕上がった作品は、もともとB級映画への偏愛に溢れた作品であるだけに、全体のトーンもオマージュに溢れた作品となった。
だが、雲行きが怪しかった。ルーが、映画の公開前に宣伝と相乗効果のヒットを狙って、原作者リチャード・オブライエンをキャストに加えて公演地をロサンゼルスからブロードウェイへと変更した。すると、それまでの評判がウソのような不入りで、即終了してしまったのだ。初演から既に2年。グラムロックの勢いが下火になってきていたのも影響したかもしれない。試写会の評価も最悪。映画は1975年9月、アメリカ国内8都市に限定して公開された。興行収入は伸びず、若者の多い学生街の映画館で再公開したが、同様だった。ただ、各映画館から観客にリピーターが多いという報告が次々と20世紀フォックスへ上がっていた。次の再公開に選ばれたのは独特の映画文化が根付いているニューヨークだった。B級映画を2本立て3本立てで公開する映画館がたくさんあり、通常では絶対にヒットしないような映画を、週末の深夜興行で満員にさせている劇場もあった。1976年4月、「ロッキー・ホラー・ショー」の深夜上映がNYで始まった。
その読みは的中。深夜上映はすぐにリピーターを獲得した。そうしたリピーターたちは、映画を気に入っているのかバカにしているのか、スクリーンに向かってツッコミを入れるようになった。ばらばらだったツッコミは次第に皆で一斉に声をあげる「お約束」になっていき、さらに、それぞれが劇場に持ち込んだ小道具を役者のせりふや動きに合わせて使うようになった。ついにお気に入りのキャラクターのコスプレをして来場する者まで現れ、スクリーン前に駆け上がり、キャラの動きに合わせて物真似を始めるようになった。観客が映画に「参加」し始めたのだ。自然発生的に観客が映画と同時進行で演じるライブ・ショーが生まれた。口コミで観客を増やしていき、ハロウィンの日は大盛況となった。再公開は時間をかけて大成功となり、これを受けて公開劇場数が全米200館に拡大された。もちろん、深夜上映の「観客参加形式」も大々的に宣伝された。記録的にスベった初公開から1年後のことである。以降、40年近く毎週どこかの映画館で必ず「ロッキー・ホラー・ショー」が上映されている。熱狂的なファンによって人気は継続し、「カルト映画」の代表作となった。その熱狂は世界に広がり、少し前まで日本にもハロウィンの夜にライブ形式の上映を行う映画館があったほどだ。
とはいえ、そればかりが「ロッキー・ホラー・ショー」の魅力ではない。リチャード・オブライエンのB級映画への偏愛が生み出したプロット、ティム・カリーの熱演、妖しげなロックンロール、そしてポップでキッチュなビジュアルに溢れた画力のセンスなど、多面体な魅力を放つ。何よりも、支離滅裂で意味がわからないストーリーなのに、クライマックスの歌の一節、"Don't dream it , Be it ! "(夢見てちゃダメ、夢になりなさい)を耳にすると涙腺が崩壊し、また観たくなる。そんな中毒性が、今でもファンを増やし続けているのは間違いない。
(NOAH BOOK 高橋真吾)