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音楽コラム集|From アメリカ

【コラム】ざっくりアメリカ 第4回「最初の一歩」

2017.06.14

予告通り! まずは、何をすれば良いのか? の話です。 しかし! このタイトル! ボクシングの漫画のタイトルをパクっていますね。 訴えられたらドキドキします。 実際、普通の言葉を使って「パクリ」とか言われたら困ります。 音楽でも「パクリ」とか言われたら、ほとほと困ります。 基本12個しか音はないのに... おお、愚痴から始まってしまいました。 すみません。 あれです。 現実問題である、アメリカでのライブブッキングとか、「まずは、何をすれば良いのか?」について書きます。 結論から言いますと、メール。 「ライブをやりたいんです!」みたいなメールで、海外の担当の人が理解できるように意志の疎通を取れば、どうにかなります。 100個くらいメールしたら、10個くらいは返信が来ます。 アメリカは土地がバカデカイので、ツアーをする場合は最初はそんな感じでブッキングします。 返信が来たら、あとは頑張って交渉です。 そして毎日ライブです。 1日で移動可能な運転時間をググって、毎日ライブができるように予定を立てましょう。 はい。 簡単ですね。 君「えぇ!!??」 僕「それだけです。」 パクリも含めて、今回ばっかりは、炎上しそうですね。 君「僕は、英語ができません。」 僕「そもそも、なぜ言語が通じないところで、仕事ができるのでしょう?」 君「でも、音楽は言語です。世界共通です。」 僕「はい。僕の質問はスルーされましたが、あなたの音楽には歌が入っていますか?」 君「インストです。」 正解の1つです。 インストの場合は、自分のやれることを信じてアレすれば良いのですが、結論は、あとでアレします。 じゃ、次。 君「歌入りです。」 僕「何語ですか?」 君「日本語です。」 2つ目の正解です。 日本語でもインストでも、ライブが盛り上がるか、お客さんが「楽しい」と思うか、には全然関係ないでしょう。 僕個人的には「ない選択肢」でしたが、Power Of Musicを、ここは信じましょう。 君「英語です。」 この答えは、このコラムを読んでいる時点で、あんまりよくないです。 英語がしゃべれるなら、日本語の情報を採らない方がよろしいと思います。 グーグルも、言語設定から日本語を消して英語だけにするとかできます。 日本語情報がヒットしなくても、あんまり困りません。 アメリカで英語で歌うのであれば、一応、英語が理解できるのが最低ラインと考えます。 なので、小さいところから、英語で頑張りましょう。 たとえば、CD Babyっていう会社が確か2000年前後くらいからあります。 https://members.cdbaby.com/ 最近、日本語版も作られているようですが、この会社は、元々アメリカのインディーズのために作られていて、アメリカで音楽レーベルを経営するのに必要な情報すべてとつながっています。 昔は、ツアーのやり方とかも丁寧に書いてありました。 CD Baby Japanじゃなくて、英語のサイトに行きましょう。 翻訳文には、翻訳者の感覚や都合が多かれ少なかれ入っているので、気をつけましょう。 かの有名なビョークさんが、今ちょっと僕たちがお世話になっているボニーさんにインタビューされている様子の中で言っています。 アイスランド語を理解できる人なんて世界に250,000人しかいないんだから、みんなの理解できる言語で歌うのは当然である。 この感じです。 https://youtu.be/2LHHy-r0yDc まぁまぁ...頑張りましょう。 ブッキングをやる時点で、たとえば「日本人バンドが英語の歌詞で歌う」とかだと、箱のブッキングの方々も、ある程度のアクセントとか、日本人独特の訛りとか、良い意味で期待しています。 逆説的に言えば、テキトーな英語でブッキングのメールを出すのが正しいのです。 そうしたら、向こうさんも、 「コイツラ、エイゴ、デキナインデスネ。」 みたいな感じになって、それでもブッキングは100個くらいメールしたら何個か返してもらえるので、飛行機に乗って、頑張ってアメリカでライブしたら、その時! 「アナタァ、エイゴ、デキナインデスネェ? タスケテアゲマスゥ。」 みたいなヤツが現れて助けてもらって頑張った結果の成功例が、たぶん日本人バンドでアメリカツアーをしている人たちのほとんどだと思います。 そうです! 「最初の一歩」を踏み出しましょう! さて、次回は!!!! 「初めての人のためのアメリカブッキングマニュアル」 今回の話を、マジメにマニュアル化しますね。 ...ごめんなさいね。 プロフィール 斉藤健太郎 ギタリスト。1974年生まれ。ベストヒットUSA等、80年代音楽テレビ番組の影響をモロに受け、アメリカ音楽に没頭。そんなこんなで、18歳のとき、米国西海岸の某音楽専門学校に入学するため、渡米。1年プログラムの米国音楽専門学校において、日本の常識と米国の常識の違いに戸惑って、自分の無能さに落ち込んだ挙句、一生懸命練習した結果、優秀生徒の一人として表彰される。その表彰状で、ニューヨークにある某音楽大学のジャズ科に、半ばハッタリを使って奨学金をもらい入学。在学中に、当時の有名ニューヨークジャズメンたちの切実な生活状況等々を目の当たりにし、「ジャズは、頑張っても売れない!」という理由で、ジャズ科の生徒2人を口説き、3人でパンクバンド(名前は秘密)を結成。唯一の日本人(英語に訛りがいっぱい)であるにも関わらず、ボーカルも担当。結成1ヶ月後あたりに、某インディーレーベルから、ほかのインストゥルメントプロジェクト(ジャズ)を買われた挙句、レーベルをちょっと騙してデビューアルバムを製作。ギターは、1日平均10時間くらい練習していたものの、歌なんて、ほとんど歌ったこともないのに、作ったデビューアルバムがアメリカCMJにて新作部門4位、全体チャート80位以内を記録。その後、調子に乗って、いろんなバンドで、米国、欧州、台湾、オーストラリア等をツアー。 現在は、OTONANA Trioを率い、2012年以降、5枚のフルアルバム発売。年間平均70回の興行をアメリカにて遂行中。 2017年は、グラミー賞受賞プロデューサーであるBob Cutarella氏を迎え、新譜の録音中。 公式サイト www.otonanatrio.com