SEARCH

閉じる

音楽コラム集|From アメリカ

【コラム】ざっくりアメリカ 第6回「一歩を踏み出した後の現実」

2017.08.12

正直、ブッキングなんて簡単にできるんですよ。 実際、それ以外がいろいろ大変なんですよ。 ほんと。 まずは、渡米ビザ。 おおぅぉぉぉぉ! 本当に気になる情報ですね。 フムフム。 では、以下、渡米ビザについて。 まぁ、アメリカで音楽をやるビザには2つありまして、O-1 っていうのとP-1っていうのがあります。 僕は、現在、P-1で活動しているのですが、昔はO-1を持っていました。 ざっくりとした違いは、O-1が個人用、P-1がグループ用と考えておけば、なんとなく良いのかもしれません。 あとは、弁護士さんに相談してください。 法関係は、弁護士さんが一番です。 普通にアメリカにある移民用の弁護士オフィスをググって、問い合わせてください。 中には、日本語を話す弁護士さんもいるハズです。 弁護士以外の人に頼っても良いですが、結局は弁護士が一番確実です。 それと、資料を持って来るように要請されます。 資料も、どうにか頑張れば用意できるハズです。 僕は、1回、日本の偉そうなレーベルの方のために資料を集めましたが、ビザが下りた途端に建て替えたお金も払われず、ガン無視されて、すごくムカついたので、もう2度と人助けはしません。 ギラついてしまいました。 はい。 ビザの話は完了。 次は、機材です。 アメリカのライブハウスでは、基本、アンプやドラムセット等の機材は、9割置いてありません。 あるのは、PAとマイクとマイクスタンドだけです。 すごいときは、マイクも1本とかです。 本当に珍しいケースですが、時と場合によっては、マイクすら置いてないときがあります。(でも、そういう時は、多分ブッキングの時点で教えてくれます。) なので、それらを想定して、機材の準備をしなければなりません。 ギターやベースに加えて、アンプやドラムセッットもちゃんと持ち運ぶのが基本です。(時には、対バンの誰かに借りる...なんて選択肢を取る場合もありますが...) 「日本では、普通...」とか言うのやめましょう。 アメリカの話をしているのですから。 さて、移動です。 移動は、基本、自動車です。 当然、車の大きさは、すべての機材が入るくらい大きくなければいけません。 そのうえ、物販も運ばなければなりません。 売るものがなければ、売上はないです。 演奏メンバー以外の人間をツアーに連れて行くのは、機材を運ぶスペースだけでも相当な経費がかかるので、よく考えましょう。 僕個人の経験と偏見にまみれた意見ですが、「演奏をしない人間」(マネージャーとか、ただ遊びに来てる人とか)が、海外ツアーのときのケンカの火種になるケースが非常に多いです。 ウソだと思うなら、試してみましょう。 昔、CDBabyっていうインディー用ディストリビューターのデレクシルバーさんっていう方が言っていましたが、車は大きくてヘロヘロなのを1台よりも、小さくてもちゃんと走るものを2台の方が良いです。 車が壊れたら、一大事です。 アメリカは車社会で、ぶつけられる危険も高いです。 保険は、しっかりかけておきましょう。 たとえば、僕はレンタカーでどうにかします。 ミニバンに入るくらいに、物販や機材は小さくします。 保険は、事故が怖いので、マックスでかけます。 移動時は、通常3人、多くても4人ですが、それ以上の人数になる場合は、相当のお金を稼がなければいけないと思います。 実際、1日1,000人くらいの動員がないと、5人以上のツアーは難しいと思います。 3人のバンドと5人のバンドを比べると、多分、経費が倍以上になります。 「なんで?」って思うのならば、1回実験してみることをオススメします。 1日の平均移動距離ですが、1日6時間は覚悟してください。 9時間とかも許容範囲です。 道は、ほとんどがハイウェイの真っ直ぐ道ですが、時間をかけないと次の街にたどり着けません。 お客さんでも、車で2時間くらいかけてライブを見に来てくれる場合があります。 車社会を理解しましょう。 時に、免許についてですが、国際運転免許は、しかるべきところに行けば30分くらいで取れるので、ググってください。 おお、前回の予告していた、「実際にアメリカに行ったら、たくさん問題があって、XXX踏んだり、いろいろ大変。って話」が全然できないまま第6回が終わってしまいました。 ゴメンなさい... 土下座を通り越して、土下寝です。 昔、レイザーラモンのハードゲイが土下寝してました。 ゴメンなさい! 次回こそ! 「真!一歩を踏み出した後の現実」 昔、新なんとかなんとか、っていうタレントがいましたね。 プロフィール 斉藤健太郎 ギタリスト。1974年生まれ。ベストヒットUSA等、80年代音楽テレビ番組の影響をモロに受け、アメリカ音楽に没頭。そんなこんなで、18歳のとき、米国西海岸の某音楽専門学校に入学するため、渡米。1年プログラムの米国音楽専門学校において、日本の常識と米国の常識の違いに戸惑って、自分の無能さに落ち込んだ挙句、一生懸命練習した結果、優秀生徒の一人として表彰される。その表彰状で、ニューヨークにある某音楽大学のジャズ科に、半ばハッタリを使って奨学金をもらい入学。在学中に、当時の有名ニューヨークジャズメンたちの切実な生活状況等々を目の当たりにし、「ジャズは、頑張っても売れない!」という理由で、ジャズ科の生徒2人を口説き、3人でパンクバンド(名前は秘密)を結成。唯一の日本人(英語に訛りがいっぱい)であるにも関わらず、ボーカルも担当。結成1ヶ月後あたりに、某インディーレーベルから、ほかのインストゥルメントプロジェクト(ジャズ)を買われた挙句、レーベルをちょっと騙してデビューアルバムを製作。ギターは、1日平均10時間くらい練習していたものの、歌なんて、ほとんど歌ったこともないのに、作ったデビューアルバムがアメリカCMJにて新作部門4位、全体チャート80位以内を記録。その後、調子に乗って、いろんなバンドで、米国、欧州、台湾、オーストラリア等をツアー。 現在は、OTONANA Trioを率い、2012年以降、5枚のフルアルバム発売。年間平均70回の興行をアメリカにて遂行中。 2017年は、グラミー賞受賞プロデューサーであるBob Cutarella氏を迎え、新譜の録音中。 公式サイト www.otonanatrio.com